英語に関する面白いニュースがあったので、まとめと感想を書いていきます。2019年4月に全国の中学校で実施された学力テストの結果に関するニュースです。
ニュース記事の概要と感想
まずは、ぼくが見たニュースのご紹介。
ニュースのまとめ
- 文科省が令和元年の学力テストの結果を公表した
- 今回から英語もテスト科目に追加された
- 「読む、聞く、書く、話す」の4技能が調査対象
- 「話す」技能の平均正答率が3割。こりゃいかんよね。
ニュースの感想
特にこの部分が気になりました。
4技能のうち、「話す」の平均正答率が最低の3割にとどまり、自分の考えをまとめて表現する力に課題が浮かんだ。グローバル社会で活躍できる人材の育成は道半ばだ。
3割”しか”点数を取れないことは問題ではないと思いました。問題の難易度や、問題自体への慣れもあると思いますので、「読む」より低いからどうたらなんてことはないんじゃないでしょうか。世界共通のテストだったら、アジアの平均より高いだの低いだの議論もあるでしょうけど、そういうテストじゃないし。
読んでいて疑問に思ったことは、日本の学校英語教育ってどこにゴールがあるんだろうかってことです。義務教育を受けきったら一人で世界を放浪できるレベル?それとも修士課程、博士課程で国際学会に出ていけること?
結局のところ明確なゴールが無ければ、小学校で何を教える?中学は?高校は?と議論を重ねても、それはただ空中戦の議論にしかならないと思うんすよね。
…あれ、これ国語も同じだ。あーそっか、国語は体系的に理解できなくても、話し言葉として使えるわけだから、助詞がどーたら、倒置法がなんやら、吾輩は猫やら、トンネルを抜ければやら、そんなことは理解しなくとも何とかなるのか。ふむふむ。
学テの英語問題を見てみよう
ぼくも30代ながら英語を勉強しなおしている身として、問題を見てみました。
ここ↓で公開されています。
国立教育政策研究所(平成31年度全国学力・学習状況調査の調査問題)
英語の問題冊子の直撃URLはこれ。
問題公開ページに埋め込んである、スピーキングの問題がこちら。
twitterで少年少女がつぶやいた感想を見てみましたが、ライティングのピクトグラム問題とスピーキングのお料理写真問題が難しかったようです。
ちなみにぼくは(たぶん全部)正答できました。キラーン☆
日本の英語教育が目指しているもの
上にも書きましたけどね、そもそも日本の英語教育って何を目標としてるんだろう?ぼくの世代が学校で受けた英語教育は受験のための英語でした。
5年ほど前の資料となりますが、文科省が今後の英語教育方針をまとめています。
文科省-今後の英語教育の改善・充実方策について
気になったところをいくつか引用します。
アジアの中でトップクラスの英語力を目指すべき。うん、そうですね、トップクラスを目指すべきです。全科目ね。
中・高等学校では、英語教育の目標がコミュニケーション能力を身に付けることでありながら、「英語を用いて何ができるようになったか」よりも、「文法や語彙等の知識がどれだけ身に付いたか」という観点で授業が行われ、コミュニケーション能力の育成を意識した取組が不十分な学校もあるとの指摘がある。
これは白々しいこと書いたもんだ。ぼくの世代がまさにこれで、文法と語彙の知識をインプットすることこそが英語の勉強でした。いつの間にか文科省も「知識じゃねぇ、何ができるようになったかだ!」と宣うようになっています。
「取り組みが不十分な学校もある」と書いていますが、それは旧来から文科省が音頭をとってやってきた教育方針からの脱却がうまくいっていないということです。その移行プロセスをサポートしきれなかったお役所側に原因があると思うんですよね。なんか他人事のように聞こえます。
小・中・高等学校を通じて、授業で発音・語彙・文法等の間違いを恐れず、積極的に英語を使おうとする態度を育成することと、英語を用いてコミュニケーションを図る体験を積むことが必要である。これ難しいだろうなぁ。日本人のクラスで「キミ、ここ読みなさい」と言われた時に、正しい発音をしようと思えば思うほど、笑いの対象になっちゃうでしょ。発音については間違いを恐れているのではなくて、友達から笑われることを恐れているんですよ。(あ、これぼくの時代の話ね)
そして、語彙・文法についても、結局は高校・大学受験の段になって、冠詞を忘れて怒られる、スペルを間違えて怒られるってことが続いてイヤんなっちゃうんじゃないかと思います。受験にスピーキングが入ってきて、コミュニケーション能力が問われるようになれば、状況は変わるかもしれません。まずはそこからじゃないかと思うわけです。
しかしながら学生の学力低下の話もずーっとあって、もうみんな勉強しなくなってきてるんですよね。そんな学生たちに「これからはコミュニケーションが大事なのだよ!」と言ったところで、学生の勉強時間が増えるわけでもなく、むしろやることが増える分、他が薄くなることに繋がるんじゃなかろうか。仮に英語できる学生が増えても、分数わかんない大学生が増えたらしょーもないですし。
小手先の変化じゃ対応しきれない話のような気がしております。今の学校教育の現場はわからないですが、どうも理想と現実の間に乖離があるように見えます。
公立学校の英語担当教員の英語力について、英検準1級以上、TOEFL iBTスコア80以上又はTOEICスコア730以上の者の割合は、全国平均で、中学校で28%、高等学校で53%となっている。
といってもぼくは学校の先生ってあんまり好きじゃなかったので、さっさとA.I.やらなんやらに置き換わっちまえばいいのに、とも思っています。
話があっち行ったりこっち行ったりしちゃいましたけど、中学高校ではコミュニケーションに力を入れているようです。”コミュニケーション”、嗚呼なんて抽象的でフワフワした言葉なんだろう。"読み","書き","聞く","話す"、これ全部コミュニケーションですからね…
「大学の卒論、修論を国際学会で発表する」とかそういう具体的な目標がないとだめなんじゃないですかね。そしたら大学入学時点では、最低これくらいの力がないとダメだよね、じゃあ高校で学ぶ内容はこれで、逆算したら高校入学時にこれくらいわかってないとダメ、じゃあ高校入試はこれくらいのレベル、中学ではこれ教えないとね・・・って逆算できると思うんですけど。
目標を決めて、こうブレイクダウンして計画を立てていくのが御役所様の御仕事なのではないだろうか。なーんかぼくには”お役人ごっこ”しているようにしか見えないのであります。
----------19/08/05 追記-----------
本日の日経新聞の社説に学テ(英語)の結果についての記事が掲載されてました。
[社説]学力調査にみる英語の課題
おわり
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